夏休みは「仕方なく」娘たちと映画を見る。毎朝のように日テレで繰り返し耳にしてしまうため、娘たちが見る前からすっかり取りつかれてしまっていたのが「崖の上のポニョ」。内容よりも、あの「ポーニョポニョポニョ♪」の歌が頭をグルグルめぐってしまった人も少なくないだろう。娘たちも洗脳状態。「気がつくと歌ってる」という危険な状態に陥っている(笑)。
 
ということで、夏休みは娘たちへの日頃の感謝をこめて(?)何本か映画を見に行くのだが、すっかり洗脳されているので、まずはこの映画を見ることにした。
さぞかし映画館は混んでいるだろうと思ったら、思いのほかすいていて、人はまばら。もしや洗脳されていたのはウチだけなのか・・・?と、疑ってしまう。
 
さて、この映画。ジブリのアニメらしいと言えばそれらしく、キーワードは「少女(今回はほぼ幼児だけど)」と「母」。特に今回は「母」のイメージが突出している。主人公のポニョはフジモトなる父親(半分人間らしい:この男、ヴェルヌの『海底2万マイル』に登場するらしい)とグランマンマーレなる母なる海の存在の間に生まれたサカナなのだが、少年宗介の血を飲んで半魚人に・・・さらに宗介を好きになってしまい自分の魔力で人間に・・・・。という感じで、『人魚姫』のようでいて、そうでもないお話なのだ。
 
ポニョの母親「グランマンマーレ」は、海そのものを象徴しているように見え、パンフによれば「女性の愛の象徴」なのだそうだ。グランマンマーレだけではない。宗介の母親もキーパーソンで、快活で愛情たっぷり。まだ5歳にして「宗介すき!」といってサカナの人生を捨ててしまうポニョや、「ぼくが守ってあげるよ」といってポニョの人間としての人生を引き受けてしまう宗介の自立ぶりは、こうした母たちの愛に支えられているという様子だ。
 
子どもたちを見守るだけではなく、二人の母は老人たちをも支えている。宗介の母はホームで働いている。そこのホームはなぜか女性ばかりが入所していて、おばあさんワールドになっている。車イス生活の彼女たちは、宗介とポニョの理解者で、どんな不思議な現象も簡単に飲み込めてしまう超越した存在に見える。宗介の母は、現実の世界でおばあさんたちの手足となってサポートしている。グランマンマーレは、おばあさんたちの「歩きたい・走りたい」という夢を叶える存在となる。
 
この母たちの「愛」は、映画の中で無限だ。子どもに対しても、老人に対しても。でも、それって現実に置き換えるとかなり怖い現象だ。
頑張っているのにポニョに愛情が伝わらない父・フジモト。船に乗っていてほとんど登場しない宗介の父。父たちの愛は、仮にあったとしても人に伝わらないものだし、ダイレクトに伝わらないことがどうやら良いらしい。それに対して母の愛は、どうにも「デカイ」。子どもも老人も、さらには自然も、母の愛情によって生きている(らしい)。
 
特に今回の映画では、「母」と「母なる海」が明確に重ねられていることによって、母性と自然の一致や母性の偉大さが強調されているように感じられる。それって、どうよ?
 
見終わって・・・
私はため息をつく。「あーあ、子育ても老人介護もやっぱり女がやるのかね・・・。」(①現実を知っている)
長女はシニカルに笑う。「いやー、いろいろ問題アリの映画だったねー。」(②現実が想像できる)
次女は歌っている。「ポーニョポニョポニョ♪」(③現実を知らない)
 
ポニョを通したジェンダー3段活用だ・・・。