楽しみにしていた郡山城下町会場にようやく足を運んだ。この会場は範囲が広く、ゆっくり見ていたら3時間たっぷりかかってしまったのだが、これが普通かどうかちょっとわからない。気になる町家やアート作品がたくさんあっただけでなく、各会場で案内してくださった方たちとの対話も楽しくて、ついつい・・・というのが私の状況。

本家菊屋は老舗の和菓子屋さんが会場で、この日も営業中だった。ここでは村上絢子の作品が店先にドーンとある。和菓子の木型が所狭しと収められた壁の棚や天井は、まさに和菓子が作られ続けたこの店の歴史を語っているよう。そこにまるで干菓子のような巨大なオブジェがある。たぶん他の場所で見たら干菓子には見えないのだろうけれど、場所が産み出す文脈がそのように見せるのだと思う。なんとも可愛らしいのだ。

ついついお店の和菓子に見入ってしまい、郡山銘菓「御城の口餅」を購入(笑)。

浅井邸酒造は郡山水中美術館という企画展をやっていた。ここ大和郡山は「金魚」の町ということで、水中美術館には金魚モチーフが溢れていた。まるで花弁のような金魚の色彩と光の透け具合い。普段金魚を愛でることもない私は、こんなに「金魚を描く」作家さんがいることに驚かされる。中でもいわたきぬよの可愛らしいイラストに目がいった。これはもう、うちの娘たちが見たら大喜びだなあ・・・と思いながら見てしまった。様々な金魚とそれからイメージをふくらませた少女が描かれている。

杉山小児科医院では3人のアーティストの作品が見られる。ここまでの会場でも何度も見たいしかわかずはるの作品――この会場の壁の作品が一番よかった。

ナカタニユミコがこの医院の美しい窓に創り出した花々も、私はとても好きだった。ステンドグラスのように光に透ける布と複雑な色に染められた花々が美しい。たぶん、この古い洋館の窓でなければ、これほどまで美しいとは思わないだろう。

圧巻だったのは、旧川本邸。この建物は木造3階建て(いや・・・びっくりした!)で、かつて遊郭だったということは聞いていたのだが、建物の前に立っただけで、全体を覆う格子とその大きさに圧倒される。「遊郭だった」という記憶は、おそらく事前に聴かなくても足を踏み入れた瞬間に何か「普通の空間ではない」ことを感じさせる間取りに反映されている。旅館や料亭とも感じられるような――でもそれは「客」をもてなす空間であることに違いはない。

これまで他の会場では感じなかった圧倒的な意味の蓄積の前では、私の乏しい想像力もさすがに働き、旧川本邸にいる間ずっと「今いる場所」が何だったのか・・・と考え続けてしまった。展示空間としてこれほど疲弊するところも珍しいと思う。

1階の広間の花札をモチーフにした池田愛のインスタレーション作品に思わず見入った。大きな花札が広げられた空間、水だけが張られた金魚鉢、花札の中に朱の和金が泳ぐ。花札のモチーフは、毎夜、饗宴が繰り返されたであろうことを象徴しているよう。おそらく遊女を意味する金魚がその中を泳ぎ回る。遊女と金魚の意味的なつながりが浮かび上がる。鑑賞用の金魚は、視覚的・性的消費の対象だった遊女の隠喩にとれる。描かれた金魚が、観賞用に作り出されたヒラヒラした金魚ではなく、シンプルな和金であること、また金魚鉢が空であることが、この限定された空間にあっても魂の自由は犯されないような、救いのような感覚を生み出しているように感じられる。

古巻和芳の映像作品は2階の階段上と1階の和室で見ることができる。風に揺れる草花と舞い上がる花びらや葉が影絵のように映し出される静かな映像である。本来なら舞い落ちるであろう花弁や葉が、風に逆らうようにゆっくりと舞い上がっていく様子は、このままずっとこの空間から天に向かって飛んでいくような広がりを感じさせる。

映像の美しさに引き込まれつつ、映像が途切れた瞬間にふっと息をつく。この重い歴史をしょった空間の中にあって、痛みから解放されるような感覚を持つ。

この空間が持つ記憶――それが客である男性にとっては一時の快楽や社交の場であり、遊女にとっては逃げられない自分自身を引き受ける場であるという記憶――を、単に負の記憶としてだけでなく、今を生きるアーティストが負の記憶を悼み、魂を浄化するような作品にしたことは、町屋展示の意義を改めて感じさせるものだった。池田・古巻両作品が見せてくれたように、おそらく負の歴史遺産とされた建築を、今なお保存しながら今にその意味を再読させていくことができるのなら、町家とアートのコラボレーションは大きな意味を持つと思う。当然、こうした試みは難しい。

町屋の保存という点では、ただ「古い」ということでも保存すべきとする発想もあるだろうし、一方でネガティブな歴史遺産を残すことへの疑問もあると思う。両者のギャップを埋めることは、旧川本邸を私たちが今見る意味を問うことでもある。もしアートが――特にこうしたサイトスペシフィック・アートが、観る者が過去の記憶と向き合う回路になるのであれば、おそらくそれが町家アートの最大の意義ではないかとさえ感じた。

このイベントは明日10月30日が最終日。

見逃している方はぜひ。

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